最近ではネットやテレビでも「ベジタリアン」や「ヴィーガン」の言葉を見かけるようになりました。
訪日外国人の増加に伴い世界中のさまざまな食習慣を知る機会も多くなり、ベジタリアン料理が食べられるお店も多くなりました。
ベジタリアン文化が日本でも浸透しつつある現在ですが、まだまだ「家族や友人・知人・職場の中にベジタリアンがいる」という状況ではないのではないでしょうか。
「ベジタリアンになりたいけどどうすればいいかよくわからない」
「ベジタリアンって簡単になれるの?」
「ヴィーガンって過激なの?」
ベジタリアンになりたいと思っても悩んだり躊躇してしまうこともあるかもしれません。
そんな人のために25歳で肉食をやめて20年以上経つ私よぎふるがベジタリアンになるために知っておきたいこと7つをお伝えします。
なぜベジタリアンに? 志の他に軽い理由も用意しておく
あなたがベジタリアンになったとき、必ず聞かれることがあります。
「どうしてベジタリアンになったの?」
「もうお肉とか食べないの?」
普通の食生活をしている人にはベジタリアン自体が珍しいし、よほどでない限りおいしいお肉をやめるとか野菜しか食べずに生きていくなんていう発想にならないので興味津々で聞いてきます。
ベジタリアンになったあなたは今までの食生活を変えることに対していろいろと想いをめぐらしたことでしょう。
- 動物保護に貢献したい
- 地球温暖化対策のために何か行動したい
- 世界中にある貧困や飢餓をこれ以上黙って見ていられない
とてもすばらしい想いであり高い志です。
でもその高い志をあなたにベジタリアンになった理由を尋ねた人にいきなりは伝えない方がいいかもしれません。彼らは興味津々で聞いてきますが、そのような高い志を聞くとなぜかしらけてしまうのです。そして、
- 「動物が可哀想って植物だって生きているのにそれは食べても平気なの?」
- 「なんか偽善的じゃない?」
- 「あなた一人が肉をやめたからって地球環境や飢餓が改善されるわけではないでしょ?」
ひどいときには逆に攻められてしまうかもしれません。
動物保護や環境問題に憂えてベジタリアンになる人は微力でも世の中のために何かできることをしたいと思っているだけなんです。普通食の人に対して罪悪感を持たせるつもりなんて全くありません。
「ボランティアで環境保護のためにゴミ拾いしています」は褒められるかもしれませんが、「環境保護のために肉食をやめました」はまだまだ同じようには扱ってもらえないのです。
だからと言って「理由はひ・み・つ」なんてことにしてしまうとコミュニケーションが終わってしまうので、そこは当たり障りのない軽い理由も用意しておきましょう。
私がベジタリアンになった理由は以前にも書きましたが、マイケル・ジャクソンをはじめとする海外ミュージシャンのベジタリアンに影響を受けたからで、ただ単に「かっこよかったから」です。これを軽い理由にして対外的に使っています。
ベジタリアンとしての思想(ベジタリアニズム)を勉強していくうちに志も芽生えてきました。私の場合は動物に愛着がないので動物保護の観点ではしっくりきませんでした。その代わり、自分が食べた牛肉1食分を作り出すのに11倍の量のトウモロコシが必要になると知ったときに「人の分まで食べている」とやりきれない気持ちでいっぱいになりました。
なので私が肉食をしないも本当の理由「志」は「世界から飢餓を減らしたい。人の分まで食べたくない。」なのです。
他にも当たり障りのない理由としては、「ダイエットのため」「お肌がきれいになるって聞いたから」「花粉症が軽くなるらしいから試している」くらいにしておきましょう。
そしてあなたのすばらしい志は大切に育てましょう。
自活できるようになったらベジタリアンになる
まだ若い時期、学生時代にベジタリアンを志す人も少なくありません。私も最初にベジタリアンになろうと思ったのは小学校6年生のときでした。しかしそれはすぐには実行できませんでした。
小学生・中学生には「学校給食」があります。給食は残さず食べましょう、好き嫌いなく食べましょうと教えられます。全くそのとおりです。作っていただいた人達に対して残したり好き嫌いを言うのは失礼にあたります。
家族がベジタリアンであるならば問題ありませんが、一般的な家庭であれば食べさせてもらっている身分で「今日からお肉食べないから!」なんて軽々しく言ってはいけません。健康上の理由もないのにいきなりそんなことを言われると家族は困ってしまいます。
あなたが学生でなくても誰かに食べさせてもらっているのであればその人の同意なくしてベジタリアンになることはおすすめしません。自活できるようになって自分で作って食べることができるようになってから思う存分ベジタリアンライフを満喫してください。それまではおいしい野菜料理の研究をしたりベジタリアニズムの勉強をしたりと内面を充実させるといいでしょう。豊富な野菜料理のレシピやベジタリアンでいるための信念なくしては実践段階で必ず挫折します。
いきなり「ヴィーガン」を目指さない
「ヴィーガン」とは完全菜食主義者とも呼ばれ、「人が生きていくうえで動物を搾取しない」という主義を持っています。食生活だけでなく、服飾品にも皮革やウールなどの動物性製品を使うことを避けます。
ヴィーガンのライフスタイルはかなり厳しく自己を律していないと難しいものです。動物愛護の精神でベジタリアンをはじめる人はヴィーガンを目指すことが多いのですが、今まで普通食の生活をしていた人がいきなりヴィーガン生活を送るのはかなりストレスを伴うでしょう。特に日本ではまだベジタリアンやヴィーガン対応している食品やお惣菜・レストランなどは一般的ではなく、今までのように「食べたいものを食べたいときにいつでもどこででも食べられる」という生活ができなくなります。
今後長期にわたってベジタリアンライフを実践していくのであれば慌てることはありません。現在の普通食の生活から少しずつ動物性食品を減らしていけばいいのです。まずお肉をやめてみる。お肉全部がだめなら牛肉からやめてみて次に豚肉もやめてみる、と段階的でもいいのです。自分が全部やめられるのかを確認する目的もありますが、周囲の人特に家族の反応を見るためにも徐々にベジタリアンに近づいていくほうがストレスは少なくなります。
ベジタリアンにもいろいろな種類があるのでできる範囲で実践されていくことをお勧めします。
- セミベジタリアン:お肉を食べる割合が少ない
- ポウヨウ(チキン)ベジタリアン:鶏肉以外のお肉は食べない
- ペスクタリアン(ペスコベジタリアン):お肉は食べないが魚介類は食べる
- ラクトオボベジタリアン:お肉・魚介類は食べないが卵・乳製品は食べる
- ラクトベジタリアン:乳製品は食べる
- オボベジタリアン:卵は食べる
- ダイエタリーヴィーガン:植物性食品のみを食べるが服飾品に動物性が含まれてもOK
- ヴィーガン:衣食住全てにおいて動物性のものを避ける
ベジタリアンになることを人に勧めない
あなたがベジタリアンになると決めて動物性食品をやめることは自由ですし誰かに邪魔されるべきではありません。それと同じように、お肉が好きな人は自由に好きなだけ食べていいのです。ベジタリアンの思想がすばらしいと思っていても普通の食事をしている人達に向かって「お肉なんてやめたほうがいい!みんなベジタリアンになったほうがいい!」なんてことは勧めてはなりません。
自分の理想を持ってベジタリアンを実践している最中に焼肉に誘われたりなんてしたら、誘ってくれた相手に対して説教したくなる気持ちも沸くでしょう。
しかし、食生活に対する考え方は人それぞれであなたと同じ人はいません。
ベジタリアンが「好き嫌いせずなんでもおいしく食べるのがいいんだ!」「動物だって感謝して食べれば大丈夫」と言われて困惑するのと同じように、普通食の人に菜食を熱心に勧めても迷惑に思われます。自分と合わない主義を押し付けられるのはお互いに嫌なのです。
最近「ヴィーガンは過激」と思われてしまっていて残念です。
ヴィーガンは「人が生きていくうえで動物を搾取しない」という主義を持っているため厳格な人は衣食住全てにおいて実践しています。社会システムで動物に危害や虐待が及べばそれを許さないと思う人もいます。
ヴィーガン主義に基づく理想的な世界を実現しようとして自分達の主義以外を認めないと問題が発生します。
「何を食べるか」という自由や多様性があるのにもかかわらず、「肉食は悪だ!」とばかりに他者を攻撃する事件が世界で発生しているのです。
このような事件はヴィーガン主義を人に押し付けようとすることで発生しています。
ベジタリアンやヴィーガンでいることがあなたに向いていてもみんながそうではありません。ベジタリアンを人に勧めるよりも人それぞれの食生活の多様性を認めましょう。
理解してくれる人は少ない 孤独になることも覚悟する
ベジタリアンの割合が少ないことや他人から食の主義を押し付けられることを望まないことなどから、ベジタリアンであるあなたを理解してくれる人は少ないでしょう。
普通の食生活をしている人とは同じものが食べられないのでお付き合いの仕方も変わってきます。食べられるものを制限し、みんなと同じ行動ができないと社会と距離ができてしまったと感じます。
世の中はベジタリアンのような少数派には暮らしにくいと思い知らされます。
普通の食生活では見えなかったことがベジタリアンになると見えてきます。それゆえ孤独も感じます。
いつでもベジタリアンをやめていい
ベジタリアンになるって決めた。もう動物性食品は食べない。
でも実践してみたら不便でしょうがない。やっぱりお肉が食べたい!
そう思ったらいつでも普通食に戻せばいいのです。誰もあなたの食生活を制限しません。
ベジタリアンはすぐにやめてしまったけど、どのようなものか少しでも知れたはずです。何か収穫があったらそれでいいではないですか。
ベジタリアンだからといって偉いわけではないがその志は誇っていい
ベジタリアンでいることはその人の意思による選択です。
健康や美容だけでなく動物愛護や環境保護、食糧問題などに対しても何かできることはないかと考えて実践しているわけです。
食を制限してまで社会問題を考えているというと自分がちょっと偉くなったような気がするかもしれませんが、決して偉くはないということも覚えておかなくてはなりません。
社会問題に取り組むためにベジタリアンになる必要はありません。それぞれが自分に合った方法で実践することができるのです。ベジタリアンになるという方法を選んだのはあなたのやり方です。
ただ、ベジタリアンになることを選択したからこそ社会問題に向かい合うことができたのであればその志は誇っていいと思います。どんな方法であれ世の中を良くしたいと思って実践できることはすばらしいのです。
過激な行動に出ているヴィーガンも本当は、むやみに動物が苦しめられないような平和な世の中を目指したいと思っていたのかもしれません。彼らの理想や想いが行き過ぎてしまって
「人に勧める→押し付ける→攻撃する」
となり周囲との調和が取れなくなってしまったのではないでしょうか。
少数派ゆえに選民思想にも陥りやすくなります。周囲に理解してもらえないので自分を特別視して心の安定を求めます。
ベジタリアンであってもヴィーガンであっても肉食であってもそれはただの選択です。良いも悪いもありません。
自由に好きなあなたでありましょう。
まとめ
ベジタリアンに興味があってやってみたいけど悩んでいる人へ私が肉食をやめて経験したこと感じたこと見えてきたことをお伝えしました。
- 志の他に軽い理由も用意しておく
- 自活できるようになったらベジタリアンになる
- いきなり「ヴィーガン」を目指さない
- ベジタリアンになることを人に勧めない
- 孤独になることも覚悟する
- いつでもベジタリアンをやめていい
- ベジタリアンだからといって偉いわけではない
今まで慣れ親しんできた食生活を変えることはストレスも伴います。周囲で理解してくれる人は少ないし世の中はベジタリアン向けにできていません。信念がなければ自分が何のためにベジタリアンをやっているのかわからなくなります。
これらのことを知って理解したうえでベジタリアンを実践していけば大変なことはありません。
私は日常の不便さを感じながらもベジタリアンでいることを楽しんでいます。20数年前にお肉をやめると決めたときは現在のようにベジタリアンが知られていたわけではありませんし、情報もありませんでした。料理のレシピも限られていたし外食でベジタリアン対応なんてありえませんでした。それに比べるとずいぶんと暮らしやすくなったなぁと思います。
現在は日本を訪れる外国人も増えているので食の多様性も受け入れていかなければならない状況です。これからベジタリアンやヴィーガンの数は増加していくでしょうし、珍しい存在ではなくなるはずです。
そんなことを考えると現在はベジタリアンに移行するにはいい時期なのではないでしょうか。
あえて勧めませんがベジタリアンって楽しいですよ!
では、ごきげんよう♪
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